豊かに不自由に暮らす
オレゴン州ポートランドは、アメリカの北西部に位置する。大きすぎず、小さすぎない、暮らすには“ちょうど良い”サイズ感の街だ。10年くらい前から、ポートランドの唯一無二の“奇妙”で豊かな街づくりはじわじわと注目を浴びている。私もその1人だ。
ポートランドが唯一無二と言われる理由。それは「ここに流れ着いた人たち」でポートランドという場所を耕し、街の人格や暮らしの場所を作ったこと。
その昔、自由を求めてヒッピーたちがポートランドにやってきた。自分達の心地の良い暮らしを追求し、自然や仲間と共存することを大切にするヒッピーたちは、独自の街づくりを進めた。70年代、街の中心部にあった高速道路の建設計画をなくして公園をたくさん作り、その代わりに路面電車を建設したりと、市民が積極的に政治に参加して、彼・彼女らの意思がダイレクトに街づくりに反映されたことで、オルタナティブな街づくりができたらしい。


私はここ、ポートランドでホームステイをしている。
今からもう30年以上も前に建てられた、家族の歴史と時間がたっぷりつまった可愛らしい木造の一軒家だ。お家は地下スペースから地上3階まである4階建て。住んでいるのは私のホストマザーであるタチアナファミリー5人と、私含めた間借りをしている3人と、小太りの猫の合計8人+1匹。このメンバーが、朝ごはんや夜ごはんを一緒に食べて、いろいろな話をして、ほぼ家族のように暮らしている。
ファミリーには3人の子供がいて、一番下は6歳で一番上が12歳。朝から夜まで大きな家を自由に暴れ回っている。木造の古い家には彼らの元気な足音と笑い声が常になりひびく。彼らの声を聴きながら勉強したり仕事したりお茶を飲んでのんびりしたり、そんな暮らしが私のポートランドでの日常になった。


歴史のある古いお家は、何かがうまく機能しない、働かないことが日常茶飯事。
なぜか過敏すぎる火災報知器は誰かが普通に料理をするだけで、けたたましいアラーム音を鳴らす。トレイは水流が弱いので普通に使っているだけでよく詰まる。弱いのはトイレだけではない。シャワーの水流も弱く、十分に体を温めるほどのお湯が出ることはない。電気も弱いようで、一度に何人かが同時に電力を使うと、瞬く間にブレーカーが落ちて何も見えない闇の中へ放り出されてしまう。真っ暗な中で、自室がある3階から配電盤がある地下まで、携帯のライトを片手に何度上り下りしたことだろう。
そんな生活の中で、母タチアナは何があっても動じず常にニコニコしていて、そんな古いお家を受け入れているように見える。
火災報知器が鳴りやすいから、料理をするときは窓を開け放ったり、火災報知器に熱が触れないように一時的にカバーをした(本来の目的を無視笑)。トイレが詰まったら、亡くなったお父さんの親友である近所の修理上手なおじいちゃん(たぶん80歳くらい)に電話してすぐに直してもらった。そのおじいちゃんはなんだか誇らしげで、直してくれた時の笑顔が妙に素敵に見えた。すぐに落ちるブレーカーは、階段などのフロアの電気を積極的に消してみんなで上手く譲り合って使う。トイレはトイレットペーパーを使う量を極力少なくして、流れきるまでレバーを長めにおさえた。ブレーカーが落ちた日にはキャンドルを灯して、ルームメイトと温かいお茶を飲みおしゃべりをしながら復旧を待ったこともある。

とにかく、すぐに新しいものに取り替えたり、捨てたりしないのだ。時の流れを自然に受け入れて当たり前の不自由さと付き合い、手をかけて大切にしている。
この家族と家からはそんな精神が感じられる。
こういった精神は、生活の営みの端々にも表れている。
大きな家には、子供たちがのびのびと遊ぶことができる広いお庭があって、季節ごとに様々な野菜や果物が実るようにたくさんの種が植えられている。ある日の昼食、気持ちのよい晴れの日のこと。ハンバーガーを作って庭でみんなで食べようとなった。ハンバーガーに挟むレタスが足りなかったので、子供たちが庭から葉物の野菜を摘んできてくれて、バンズに挟んで食べた。他にも、時々タチアナが食卓にぽんっと置いてくれるホームメイドのハチミツがある。ざらっとした質感なのにあっという間に口の中でとろける味わいに、私とルームメイトはこのハチミツに夢中だ。さらには、ご近所さんの庭で実ったという果物が食卓に並ぶこともしばしばある。
タチアナの口癖はいつも、「だってホームメイドが一番でしょ?」。
大量生産よりも、手をかけて誰かが作ったものや季節と共に循環して実る食材が一番美味しくて安全だよね、というのが彼らの精神で生活のスタンダードなのだ。


それはポートランドという街全体にも現れている気がする。
たくさんのセカンドハンドショップ、いわゆるウィンテージやリサイクルショップのような中古品を扱うお店が至る所にある。洋服、家具、雑貨、レコードやら何やら、ありとあらゆる品々が揃う。誰かが昔家族や恋人宛に送ったとされるハガキまで売っていたのには驚いた。


さらには、トイレの便座やドアノブ、どこに使うのか不明な無限のネジ類など、家具や家電を修理するための物や材料も中古品として売っている。休日にふらっと立ち寄ると、DIYが得意なポートランダーたちが熱心にパーツを選んだり、トイレの便座を抱えて店から出てきたりする。


上手くいかないことやものを切り捨てず、上手に付き合う方法を探す。
手入れや修理をしてものを大切に使う。
時間の流れを受け入れて楽しむ。
私が東京に26年間暮らしていたときには想像できなかった、暮らしのスタンダード・精神がここには存在しているのだ。
この世のあらゆるものは時間と共に変わっていく。何一つとして常に「新しい」を保つことはできない。
だからこそ、ケアしてお手入れをしながら大切に、上手に付き合う。上手くいかない、変わっていくことだらけの日常を、愛おしみながらみんなで協力して楽しく付き合う。
ポートランドの暮らしの精神に慣れてきた今、人生のどうしようもなく過ぎていく時間や変わっていく全てのことを、前よりもちょっとだけ気楽に、楽しく、過ごせそうだ。
PROFILE
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芹澤 向日葵
1996年生まれ東京都出身。武蔵野美術大学卒業後、PR・プランニング・バイヤー・ディレクションなど、東京を拠点にその他いろいろなことをしています。現在はポートランドに滞在中。