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機能美。余分な装飾を排してむだのない形態・構造を追求した結果、自然にあらわれる美しさ。インターネットの辞典ではそう説明される。では、元々機能的だったものがその機能を失った場合、それは不自然なものになってしまうのだろうか。美しくなくなるのだろうか。
「これは道端で拾いました。かっこいいなと思って。もとはなんだったんでしょうね。丸ごと落ちていたら惹かれなかったと思います。これ単体じゃなんの意味もなさないですよね。腹筋ローラーみたいに使えるかな。片方じゃ難しいですね。肩のこりをほぐすのにいいかも。マッサージには使えそうですけど、実際に気持ちいいかはわからない。ゴミのセカンドキャリアを考えるのは面白いですね。別に何かの役に立つ必要はないんですけど。」
機能美を盲信する姿勢には、どこか「働かざるもの食うべからず」というような暗黙の了解が滲み出ているように感じる。確かに勤労は憲法で義務として定められていて、コスパや生産性という言葉がニュースを賑わすことも多い。だが、だからこそ、これから先の未来において、私たちはその姿勢をアップデートすべきなのではないだろうか。人生100年。AIが人の仕事を肩代わりし続ける未来において、私たちに残されているのは、無意味なものに美しさを見出すユーモアなのだと思う。おぼつかないながらもマッサージボールに転身を果たそうとしている、かつてキャスターだったものの健気さは、無意味な妄想の価値を教えてくれる。
PROFILE
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加賀美 健
現代美術作家。1974年、東京都生まれ。
社会現象や時事問題、カルチャーなどをジョーク的発想に変換し、彫刻、絵画、ドローイング、映像、パフォーマンスなど、メディアを横断して発表している。
2010年に代官山にオリジナル商品などを扱う自身のお店(それ自体が作品)ストレンジストアをオープン。
日課の朝のウォーキングの際に面白いゴミが落ちていないか目を光らせながら歩いてる。