『A.I.』や『キャプテン・マーベル』『パシフィック・リム』など、たくさんの映画のキャラクター・クリエーションや特殊造形を担当してきた片桐裕司さん。
18歳でツテもコネもないまま渡米して、そこからどのようにしてスティーブン・スピルバーグやギレルモ・デル・トロ、サム・ライミなど名だたる監督から厚く信頼されるキャラクターデザイナーになったのか?子どもの頃の映画との出会いからご自身のキャリア、今回生み出されたダークでキュートなキャラクターについても伺ってみました。
―今日はよろしくお願いします。早速わたしのことで恐縮ですが、日本では1995年から放映されていたTVシリーズ『X-ファイル』に小学生の時から夢中だったので、そこでメイクアップのお仕事をされていた片桐さんにこうしてお会いできて光栄です。
そうでしたか。ありがとうございます。よろしくお願いします。
―まず片桐さんがどんなふうに映像作品と接点をもつようになったかお聞きしたいのですが、子どもの頃から映画に触れやすい環境だったのですか?
両親とも映画が好きだったので、物心ついた頃から一緒に観ていましたね。テレビで21時からの洋画劇場を観ていても、子どもだから22時には寝ないといけなくてそこまでの記憶しかない映画もあります。
―よくわかります(笑)映画館も行きましたか?
父親がよく映画館に連れて行ってくれました。両親の映画の趣味がそれぞれ違っていて、父は007やインディージョーンズなど、ハリウッドのアクション映画がメインで、そのほかにも自分の世代が見ないような西部劇などを観に名画座に連れて行ってくれて、母はチャップリンや昔のモノクロ映画、ミュージカルなどが好きで影響を受けました。
―その中で特に惹かれたのはどんな作品だったのですか?
作品はたくさんあるのですが、映像作品で特殊メイクが使われ出したのが自分が小学5年生あたりだったんですね。『E.T.』やマイケル・ジャクソンの『スリラー』を観て「なんだこれは!」と感銘を受けました。世界も日本も特殊メイクブームがきて、ほとんど同時にVHSが全盛期になって、レンタルビデオ屋が町中にできて。中学生の頃に低予算のホラー映画がレンタルで出回るようになって、学校帰りに友達と集まって夢中になって観ていました。
―映像のクオリティはピンキリだと思うんですが、垣根なく観ていたのですね。
ひどいのもありましたけどね(笑)
―そこから高校時代を経て、どんなきっかけでロサンゼルスに行こうと思われたのですか?
大学受験の受験勉強を始めたんですが、2ヶ月と保たなかったんです。ふと「このまま勉強をして、もし大学に行けたとしても何になろう?自分にはサラリーマンは無理だろう」と思いました。じゃあ何をしようと考えた時に、当時はまだあまり知られていなかった特殊造形という職業が浮かびました。自分は映画『アマデウス』でサリエリ役の特殊メイクを担当したディック・スミスさんの素晴らしい仕事を見て知っていたのですが、彼はその作品でアカデミー賞も受賞しているのに日本のパンフレットでは一言も触れられていないことに憤りを感じていて。その時点で強い思いを持っていたんだと思います。「アメリカに行って学んでもし上手くいかなくても、英語が話せるようになるかもしれない」と高校2年の2月に渡米を決めました。
―その時からものづくりは得意だったのですか?
美術は好きでしたし漫画は遊びで描いていましたが、その時はまだ実際に特殊造形を作ったことはありませんでした。
―すごい行動力ですよね。
素質があるかは分かりませんでしたが、まず行ってみてよかったですね。
―渡米してからはどのような生活でしたか?
英語を学ぶために大学附属の語学コースに10ヶ月くらい通ってから、ロサンゼルスの特殊メイクを学ぶ学校に行きました。その学校に通って帰国し、日本で特殊メイクの仕事を始めた日本人女性のインタビュー記事をたまたま読んで、掲載されていた住所に手紙を送って、そこに10週間通ったけれどもちろんすぐに仕事のあてがあるわけもなく。ポートフォリオを作りながら機会を探しました。
―どんなふうに仕事に繋がっていったのですか?
タダ働きも含めて学校にはよく仕事の紹介が来ていたんですね。その中のひとつで、ハロウィンの日にお客さんに傷のメイクをするバイトをすることになったのですが、なんとそのお店のレジの人がクリーチャーの出てくる映画のプロデューサーを知っていて。
―え、その方は何者なんですか!?
日系人のバイトの方だったんですが、日本の漫画を原作にした『ガイバー』というハリウッド映画のプロデューサーの電話番号を教えてくれたんです。話しをすると会うことになり、ポートフォリオを見て気に入ってくれて、監督のスクリーミング・マッド・ジョージさんを紹介してくれました。「なんでもするので手伝わせてください!」とお願いをして、最初は見習いとして飛び込みました。
―そんなとんとん拍子に!ポートフォリオの作品の出来がかなり良かったんですか?
学校で作ったものも載せていましたが、お金がなかったので材料も出来も決して満足ではなかったと思います。でもその時に言われたのは、やりたいという人はたくさん来るけれども「じゃあどんなものを作ってるの?」と聞くと何も作品がない人が多かったそうで、これだけあるのは珍しいし行動に移せているのは本当にやりたいという熱意を持っている証拠だと。
―そこから特殊メイク界のレジェンド、スクリーミング・マッド・ジョージさんの下で働くことになったんですね。
まだビザのない19歳の頃だったので、賃金はもらえなかったんですけどね。最初はビザもない、技術もない、アメリカ人よりも英語力がない。その中で彼らよりできることと言ったら、たくさん働くことでした。家で寝る以外は仕事場に入り浸って、なんでもやっていましたね。手伝うものがなければ自分の作品を作ったりして。
―初めて映画のクレジットに載ったのはどの作品でしたか?
93年の『ミュータント・フリークト』でした。『ビルとテッド』シリーズのアレックス・ウィンターが監督と主演で、ブルック・シールズも出演していて、映画館で自分の名前を見た時にひとつの達成感を感じました。ちょっと早いですけどね(笑)
―感慨深いですよね。ジョージさん以外にはどんな方から影響を受けましたか?
『遊星からの物体X』や『ロボコップ』シリーズなどを手掛けた巨匠ロブ・ボーティーンですかね。とにかく造るキャラクターが強烈で、ロボコップは観た時に衝撃的でした。あとは『ターミネーター』シリーズや『エイリアン2』『ジュラシック・パーク』でアカデミー賞の視覚効果賞などを受賞しているスタン・ウィンストンですね。
―片桐さんは1999年にスタン・ウィンストン・スタジオのメイン・アーティストに就任されましたよね。そこではどのくらいお仕事を?
4年くらいいました。あのスタジオは滅多に新しい人を雇わないんですが、空きが出たと連絡がきて一度受けた面接では落ちてしまい、その後28歳くらいでもう一度チャンスがあったんです。2週間のテスト期間で『A.I.』のメインの少年型ロボットの造形を任されて。人生で一番緊張した2週間でしたし、スタジオで関わった仕事では特に印象に残っていますね。
―数々の名監督と作品を作ってきて、その後ご自身で映画を監督することになったのはどんなきっかけだったのですか?
20歳の頃、日本に帰ってきた時にばったり中学の同級生に会ったのですが、彼女が映画を撮っていると聞いて羨ましくなり、そこで「自分は映画が撮りたかったんだ!」と気づいたんです。実は撮りたい気持ちを抱えたまま悶々としながら仕事をしていましたが、35歳で一度仕事が落ち着いたので自分で撮ることにしました。
―2016年に初の長編映画『GEHENNA〜Where Death Lives〜』を発表されましたね。いつもキャラクターの造形をする上でどんなことを大切にしていますか?
物語の設定やストーリーから、そのキャラがどんな性格をしているかを想像して掘り下げるようにしてますね。それによって使う素材や表情も変わってくると思うので。
―今回のプロジェクトで生まれたキャラクターはどんなコンセプトなんですか?
それぞれが感じる美しさ、可愛さって人によって違うと思うんですが、今回はぬいぐるみと人体を組み合わせて新しい可愛らしさ・・つまり死体アートのイメージなんですが。うさぎやクマのぬいぐるみという可愛いキャラクターを、自分なりにもっと可愛くしたいという主人公の願望を叶えてみました。
―目玉も歯も口から出ている綿も表情豊かにみえて、不思議な愛らしさがありますよね。詳しくはNIKOさんとの対談でも聞かせてください!貴重なお話をありがとうございました。
INFORMATION
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NFT FREAK ポータルサイト
セレクトショップ“FREAK’S STORE”などさまざまな事業を展開するデイトナ・インターナショナルが、NFTプロジェクト「NFT FREAK」を2024年9月に新たにローンチ。
NFTを通して「好き」で繋がるコミュニティの醸成とクリーエーターの支援を目指します。
PROFILE
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片桐裕司
東京都出身。
高校卒業後18歳で渡米。
フリーランスで映画、テレビのキャラクター制作に参加。
1998年、TVシリーズ Xファイルのメイクアップの仕事でエミー賞受賞。
1999年、世界屈指の工房であるスタン・ウィンストン・スタジオのメインアーティストに就任。
『A.I.』『ジュラシックパーク3』『タイムマシン』『宇宙戦争』等、数多くの作品に従事。その後もフリーランスとして様々なクリエイトを続けている。
主な代表作は『キャプテンマーベル』、『パシフィック・リム』、『マン・オブ・ティール』、『エイリアン対プレデター レクイエム』、『ウルヴァリン X-Men Zero』、『パイレーツオブカリビアン 生命の泉』、『スパイダーマン4(制作再開)』など。
スティーブン・スピルバーグやギレルモ・デル・トロ、サム・ライミなどの著名監督の映画作品に参加。彼らの映画のキャラクタークリエイションに多大な貢献をしている。
同時に、昔からの夢で目標でもあった映画監督としても活動しており、2016年に長編初監督映画、「GEHENNA〜Where Death Lives」を制作。
2018年6月アメリカ10都市で公開、北米Netflixで配信中。
2019年に未体験ゾーンの映画館で日本上映。DVDレンタル・販売中。
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奥浜レイラ
1984年神奈川県出身。映画・音楽のMC・ライター。
2006年よりテレビタレントとして活動をスタート。映画の舞台挨拶やトークイベント、ラジオ番組でMCを務める他、雑誌の音楽レビューや、映画パンフレットへの執筆などライターとしても活動している。