Freadaディレクターの小笠原希帆が世の中のあれやこれやに独自の視点で物申していく「小笠原希帆の”お言葉ですが!”」。今回は「仏教」がテーマです。
普段から人よりも考え込みがちなオガ氏。最近仏教に関する本を手に取り「もっと深く知りたい」「お坊さんと話してみたい!」と興味が高まったそうな。
せっかくなら直接会って聞いてみよう!ということで今回の対談が実現。お招きしたのは僧侶でありながらベンチャー企業で働く会社員であり、さらにフリーペーパー『フリースタイルな僧侶たち』の編集長も務める秦正顕(ハタマサアキ)さん。盛り盛りなバッググラウンドを持つ秦さんに、オガ氏が気になっている仏教のあれこれをざっくばらんに伺っていきます。
ーそもそも僧侶ってどうやってなるの?出家って具体的にどういうこと?
小笠原希帆(以下、小笠原) 秦さんはどうやって僧侶になったんですか?
秦正顕(以下、秦) 僕は北海道にある晟徳寺というお寺の長男なので、僧侶になる選択肢は生まれながらに持っていました。でも、子どもの頃はあまり仏教や僧侶の魅力がわからず、父も僕のやりたいことを優先しろと言ってくれたので東京の大学に進学したんです。
大学時代は「お寺を継がないと堂々と言えるくらいにやりたいことを見つける」と意気込んでお寺とは距離をとって自由に過ごし、そのまま就職活動をすることになったんですが、いざ始めてみると惹かれる企業がなくて。そのときに自分のバックボーンであるお寺のことや仏教に少し向き合ってみようかなと思ったんです。
そこで出会ったのがいま僕が編集長を担当している『フリースタイルな僧侶たち』でした。型にはまらない僧侶の方々のインタビューから、僧侶でも面白く生きていける道があるのかも?という選択肢を知ったことがきっかけとなり、僧侶としてやっていく生き方に繋がりました。
小笠原 普通の大学生からいきなり仏教の世界に飛び込むのってハードルは高くないんですか?
秦 自分の感覚ですが、20歳ぐらいになると仏教の教えについて段々分かるようになっていくんですよね。例えば 『平家物語』の語り出しの有名な一句、「諸行無常」は、「この世の全てのもので変わらないものはない」という意味ですが、希望に溢れた若者であっても、どんなにすごい大人でも、次第に変化して、選択肢が減って、衰えて、死んでいくということは一緒です。人生って仏教の言っている通りだなと思いました。仏教の面白さやお寺の価値、型にはまらない僧侶のことも知ったりして、少しずつお寺を継ごうと思えていったので、ハードルは高くなかったです。
小笠原 じゃあそこで出家を?
秦 いえ。お寺を継ぐと決めたとはいえ、俗世のことも知っておいた方が後々役立つかなと思ったので、2年間広告企業で働きました。 いまもベンチャー企業で働きながら僧侶のお勤めをしています。お寺を出たことで俗世の色々な苦しい経験もできましたし、外から仏教を見られる良い機会になったので、いまはこうやって東京に出てきてよかったなと思っています。
小笠原 そもそも「僧侶」の定義ってどういうものですか?「僧侶です!」って名乗ったらなれるものなのでしょうか。
秦 「得度」という僧侶の世界の資格のようなものはありますが、定義というと難しいですね…。僕は浄土真宗なので1週間お寺に籠って法話を聞いたり、掃除をしたり、そういった取り決めをこなしていって僧侶になりました。
小笠原 1週間!意外とハードルが低いような。本来の目的とは違う、なんちゃって僧侶が生まれそうですけど…。
秦 だれでもOKではなく、他の僧侶からの推薦は必要なのでその可能性は少ないかと。あとは医師免許などと違って僧侶になっても仕事は保証されていませんしそこまで稼げるわけではないので、肩書き欲しさになるようなものではないかなと思います。
小笠原 じゃあ秦さんのお給料もベンチャー企業の方が多いんですか?
秦 いまはそうですね。家のお寺は大きくないですし、父も兼業をしています。お寺だけで生計を立てるのはなかなか難しく、全国のお寺の6、7割は兼業をしているそうです。学校の先生とかタクシーの運転手とか、公務員もいますし僕みたいな会社員も。あとはお寺が幼稚園や保育園を運営しているところもあって、あれも収入の一部になっているんです。
小笠原 なるほど。お寺を存続させるのも大変なんですね。そもそもお寺だけの収入っていうのは?
秦 大きく分けて2つで、まずはお布施です。お布施は檀家さん(特定の寺院に所属し、その寺院を支援する家)から、お盆参りや法事、お葬式などの際にいただくものです。あとはお寺や墓地の維持のための会費のようなものがあります。
小笠原 お賽銭はどうなるんですか?
秦 お賽銭もお寺の収益にはなるんですがそこまでの金額では…(笑)
小笠原 でも浅草寺とかすごそう。
秦 お寺は観光寺と街中にある一般寺院に分けられて、浅草寺のような観光客がたくさんくるような場所はたしかにすごそうですね。あとは拝観料が発生するお寺もありますし。
小笠原 観光寺になると無敵ですね…!
秦 ただその分お寺を綺麗に保たなくてはならないので、管理の面では大変かと。お寺を続けていくためにお金はもちろん大事なんですけど、そもそもお金目的で運営していく場所ではないという考え方もあるので、バランスを取るのが大変なんです。
ー坊主じゃない僧侶がいるワケが判明
小笠原 お寺に生まれるってどんな感覚なんですか?
秦 お寺に生まれて良かったという僧侶のかたは多いと思います。日本は無宗教の方が多い国ですし、そもそも宗教に触れる機会が少ない。そう思うと生まれながらにして仏教を知る機会があったことは良かったと思います。浄土真宗の宗祖親鸞聖人も「仏教に巡り会えたのであればその縁を喜びましょう」と説いています。
小笠原 そもそも僧侶の活動は仏教の教えを多くの人に伝えていくことですか?
秦 人によって僧侶の活動の定義は様々かと思いますが、僕の場合はそうです。僧侶は、仏教というコンテンツを自分で編集し、世の中に広めていく編集者のような存在だと捉えています。
小笠原 それで人々を楽にしていくことが目的ということですか。
秦 はい。仏教は「抜苦与楽(ばっくよらく)」といって、苦しみを抜き、楽を与えるということを基本姿勢としています。
小笠原 そもそも秦さんは髪を生やしていますけど、僧侶でも坊主にしなくて大丈夫なんですか?
秦 仏教も宗派によって全然スタイルが違って、修行ではない道を選んだ宗派である浄土真宗はかなりユニークで、髪の毛も生やしてOKなんです。
小笠原 修行をしないってことは煩悩は大丈夫なんですか?お金のことを考えているときとか、クリスマスに恋人とデートしているときとか、俗世で暮らしてると煩悩だらけになっちゃいそうですけど。
秦 実は浄土真宗は煩悩を否定しない宗派なんです。鎌倉時代より前の仏教は修行が大前提で、比叡山や高野山に登って、坐禅を組んだり、滝行をしたり、修行を通して自分を洗練させていくことで悟りが開けるとされていました。それに対して親鸞聖人は「修行で煩悩を消すなんて無理だ、もっと他に道があるはずだ」という理由で山を降りてしまうんですね。
親鸞は、まず自分は至らないということを受け止めて、そんな自分でも救われる道があるはずだと信じて教えを探し求めます。そして辿り着いたのが、浄土教の教えです。阿弥陀仏が必ず自分を助けてくれるから、既に自分は救われている存在であり、その救いを信じて生きていけば大丈夫ということを、師匠の法然上人から教わります。
小笠原 うーん。ちょっと楽をしすぎなような(笑)
秦 一見、そう見えるかもしれませんね。しかしそのシンプルな教えを説くために、親鸞は中国やインドの僧侶たちの膨大な文献をかき集めて、『教行信証』という本にまとめています。そこに書かれているのは、浄土教の救いの構造、いわばロジックのようなものです。
小笠原 なるほど。救いのなかにもロジックがあるんですね。
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小笠原希帆の"お言葉ですが!"





